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『養生訓』に学ぶ

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『養生訓』
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2018.10.02『養生訓』と貝原益軒⑦

 39歳の3月に江戸に戻ったとき、前述のように秋月藩の友人医師・江月道達の姪(17歳)と結婚した。のちの東軒夫人で、和歌に巧みで、書もよくし、天賦の資質を持った女性であった。実子には恵まれなかったが、仲のよい夫婦であったという。益軒自身、生まれつき虚弱であったが、夫人も病弱で、貝原家に残されていた用薬日記には、病気の治療などでしばしば漢方薬を調合していたことが記録されている。夫人は62歳で亡くなったが、夫婦そろって養生の実行者であり、当時はもとより、現代からみても共に長寿者であった。

  上記のごとく、貝原益軒の『養生訓』は、周到な考察を縦横に働かせ、自身の体験と反省をも含めて書き上げた,不朽の名作といって良いであろう。

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