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『養生訓』に学ぶ

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『養生訓』
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2018.09.04『養生訓』と貝原益軒⑥


 日記の中には、激しい痰の出る病気にかっかたことが書かれていて、かなりの難病だったことがうかがえる。また、江戸藩邸にいたころ淋病(性病)に罹ったこともあったが、このときは向井元升の処方で落ち着いたという。
 益軒のような“道徳家”が性病にかかるということは、今からみれば意外に思われよう。しかし、子孫繁栄が究極目的の男性優位の封建社会にあっては、当時の性道徳はいわば放任主義であった。このような病気はそれほどの恥ではなかった。同じ儒者でも、江戸の硬派に対して、京の儒者は遊郭への出入りなど憚ることなく、「据え膳食わぬは男の恥」とする傾向が強かったという。
 38歳で江戸から京都へ移り、難治の淋病も落ち着いたが、このあと下痢、喘息の発作に継続して悩まされ、針やお灸の治療を受け、晩年まで続けている。

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