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『養生訓』に学ぶ

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2017.11.30『養生訓』と貝原益軒

 わが国で「養生文化」を広めた代表的人物として知られる貝原益軒は、江戸時代初頭の生まれ、84歳のときに大作『養生訓』(和文)を著し、その翌年に辞世した。名は篤信、号は最初「損軒」と称し、その著作の大部分も「損軒」となっているが、のちに「益軒」と改めた。井上孝一によれば、「益軒」と称したのは78歳の後半からで、この改名には中国の「易」の影響があるという。  

 貝原益軒は寛永7年(1630)11月14日、福岡城内で生まれた。父は貝原利貞、寛斎と号し、黒田侯に仕えて祐筆(文書などを執筆する書記役)を務めた人である。益軒はその5番目の子であった。

 19歳の秋に藩の御納戸方(茶坊主)として初めて出仕するが、長くは続かなかったようで、2年後には藩主の怒りに触れて浪人の身となったといわれる。

 25歳のとき二度、そして翌年にも長崎に遊学しているが、明暦元年(1655)、26歳のとき在府中の父の手助けをするため単身、江戸に入った。江戸では藩の大老や重臣の知己を得、1年半後に帰郷するが、この間の長崎、江戸での体験は、若い益軒にとって大きな刺激になったことであろう。

                謝 心範 Ph.D.

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